花をいけてみたら変わること

「華道」とかしこまらずに、ただ花をいける楽しさを皆さんと共有できれば嬉しいです

兎と亀

「花は、いけたら、花でなくなるのだ。いけたら、花は、人になるのだ。」

これを知らぬ門人はモグリという程、草月では有名な勅使河原蒼風先生の名言です。

勅使河原蒼風 - Wikipedia

 

作品ばかりでなく、「花をいける」という行為もまた呆れるほどに人となりを表すものだと感じます。

お稽古場での様子を観察している、10分も経たぬ間にパパッといけ上げてしまう人もいれば、1時間近くかけてじっくりといける人もいます。私は迷いだすと止まらないタチですから、間違いなく後者に分類されるでしょう。

思い切りが良く瞬発力に長けているか、はたまた慎重・堅実で根気が持ち味か。物事を局所ではなく全体で捉えるタイプか、細部にまでこだわる完璧主義か。これはもう良い悪いとか、上手い下手という次元ではなく、個性の問題ですね。

 

ある時お稽古に鋏を忘れた先輩がいたのですが、彼女は花材を長いものは長いままに、とうとう鋏を使わず、あっという間にいけてしまいました。何ともダイナミックです。作品の講評がどうであったかは記憶にありませんが、その豪快さにある種の憧れを感じたことは鮮明に覚えています。自分にはなかなか真似のできない芸当なので、なおのことその大胆さに惹かれました。

 

昔話の兎と亀では話のくだりで亀に軍配が上がることになっています。が、いけばなでは両者の勝負に決着をつけることはナンセンスというものです。